私の夏
「祖母のワンピース」
八戸の夏は、いつでもなつかしい。吹き抜ける風のにおい、植物たちが足元を撫でる感触や土の匂い。そして明るく人なつこい人々。数え上げればきりがない、目に焼き付いて離れることのない八戸の夏の風景は、とても情緒がある。ふとしたときに思い出して、逃げ込んだら受け入れてくれるような、ゆったりとした隙間がある。
生まれ育った根城は緑の多いところで、家の裏には森や小川があった。私は夏になると、朝から晩まで夢中になって遊んでいたものだ。そしてそんなさわやかな記憶とともに思い出されるのが、祖母の姿である。
幼い頃、仕事の忙しい両親を手伝って、私の遊び相手になってくれたのが祖母だった。祖母はとても朗らかな人で、どこに行っても誰といてもにこやかな表情をしていた。外に出かけても見知らぬ人に話しかけるのは当然のことで、一瞬にしてその場を和やかな雰囲気にしてしまう祖母の姿を、私は幾度となく目にして育った。夏になると、庭に出て行っては後ろ手に手を組んで、なんともいえない表情で木々を見上げたり、空を眺めたりしていた。遊びに出かける私に向かって、ちょっとまぶしそうな顔をしていつまでもいつまでも手を振っていた。
そして、夏になると祖母は決まって、着心地のよさそうなワンピースを着ていた。それらはいつも、私の母の見立てによるもので、母が仕事の合間を縫ってまちなかの衣料品店で購入したものだった。色は紺や白の落ち着いた色みのものが中心で、ちりめん素材の涼しげなものを好んで着ていたけれど、「おばあちゃんもっと派手なの着たらいいのに」と、生意気にもアドバイスしたことを覚えている。開放的な性格の祖母が着こなすそういった夏の衣装は、ここが八戸とは思えないほどの、南国のような雰囲気さえ醸し出していて、そんな祖母の姿が、私の夏休みをよりいっそう気ままで自由な気分にさせていた。ワンピースの半そでの下からのぞく祖母の二の腕は、その小さな体とはアンバランスなほどたくましくて白くてやわらかくて、私が触ると恥ずかしそうに笑っていたよね。
子供の頃、夏は今よりずっとまぶしくて、空はどこまでも果てしなく広がっていたように思われる。遮るものなくどこまでも吹いていく風の心地よさ、そして1日1日と終わりに近づいていく短い夏のはかなさ。その記憶の片隅にいつも祖母が立っていて、夏を全身に孕むようにして、こっちを見ている。母に買ってもらったワンピースを見せびらかすように、うれしそうな顔をして。
そんな祖母が、昨年の夏に亡くなった。95歳だった。どこを探しても、健やかで明るい日々しか思い出されない祖母との夏は、何年経っても風化することはないだろう。私もばあちゃんみたいなワンピースを着て、今年の夏を満喫したいと思う。